ノーベル医学生理学賞とは?日本人が受賞!

ノーベル医学生理学賞に日本人の本庶佑さんが受賞されたとの速報が入りました。ノーベル医学生理学賞とは?どのような発見をしたのか?同様な人物なのか?知りたいことをまとめてみました(^^)/

ノーベル賞・ノーベル医学生理学賞とは?

ノーベル医学生理学賞とは何なのでしょうか?ノーベル賞とはよく聞きますがその中でも色々と受賞分野が分かれているのでしょうか?調べてみました。

ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド・ノーベルの遺言に従って1901年から始まった世界的な賞である。物理学、化学、生理学、医学、文学平和および経済学の「5分野+1分野」で署名な功績を残した人物に贈られる。経済学賞だけはノーベルの遺言にはなく、スウェーデン銀行創立300周年祝賀の一環としてノーベルの死後70年後にあたる1968年に設立されたものであり、ノーベル財団は「ノーベル賞ではない」としているが、一般にはノーベル賞の一部門として扱われることが多い

引用:ウィキペディアより

※なぜスウェーデン銀行の創立300年に合わせたかというと、ノーベルさんはスウェーデンの科学者、発明家であり、実業家だからのようです。

ノーベル賞とは6つの分野に分かれているようです。

・ノーベル物理学賞

・ノーベル化学賞

ノーベル医学賞・生理学賞

・ノーベル文学賞

・ノーベル平和賞

・経済学賞(正確にはアルフレッド・ノーベル記念スウェーデン国立銀行経済学賞)

本庶佑さんは生理学または医学分野において功績のあった人に贈られるノーベル医学生理学賞を受賞されましたが、一体どのような経歴の持ち主でどのような功績が認められたのでしょうか?

本庶佑さんの経歴は?

【子供時代】

本庶佑(ほんしょたすく)

1942年に京都市で誕生しますが、医師だった父の仕事の関係で山口県宇部市で小学校から高校までを過ごします。

小学校では家に帰ってすぐに遊べるように授業中に自分で教科書を読んで宿題も学校で終わらせいたとのこと。

自分で考えて行動する能力は幼少期から発揮していたようですね!

とにかく好奇心のかたまりでラジオや時計の分解、組み立て、読書といった自分で面白いと思ったものはとことん追求するタイプだったようです。

本では岩波の「科学の学校」好きで、理科の先生が夏休みに大きな天体望遠鏡で土星のリングを見せてくれたことに感動し小学校の卒業文集には将来の夢は天文学者と書いたそうです。

中学になると勉強が面白くなった。勉強すると模擬試験の順位があがるのが面白かったとのこと。二年生の頃に三年生の全国模擬試験を受けて県内で10番以内に入ったとか!成果が見えることに夢中だったそうです。すでに何かを成し遂げそうな人物像が浮かび上がってきますね。

将来必ず役に立つからと父親の勧めでハワイから戻ってきた日系人の方から英語を教わります。高校卒業まで続けたおかげで、あらゆる場面で英語に困るとはなかったようです。

【大学時代】

大学への進路は英語が得意だから外交官、弁護士にも興味があり、父親の影響で医者、この3つで悩んだそうです。1960年のことです。

伝記を読むのが好きだったため、野口英世に惹かれて医者になって病気の原因を発見できれば多くの人の役に立つと思い京都大学医学部に入学されました。

一年生の時に、柴谷篤弘先生の「生物学の革命」(みすず書房)に出会い「やがてDNAの異常をピンセットで治す日が来るだろう」といういう言葉に感銘を受けます。

すでに分子生物学と医学のつながりを明言されていたという素晴らしい柴田先生の先見性に同調し、おぼろげながら分子生物学の研究を治療に繋げられるのではとその夏に父親(山口大学医学部)の同僚だった柴田先生を訪ねます。憧れた医師がたまたま父親の同僚だったというドラマのようなシチュエーションがもう凡人ではありませんね!

そこで分厚い本を渡され全く歯が立たなかったそうで。。これが分子生物学とのであいでした。

2年生になると、柴田先生や父親の勧めでアメリカから帰国したばかりの早石修先生(京都大学名誉教授)の研究室に出入りするようになり、3年の頃に基礎研究者としてやっていこうと決意されていたそうです。

 

左:小学生の頃    左:早石先生と学会のパーティーで

【卒業後】

京都大学医学部を卒業した1971年にアメリカに渡り、カーネギー研究所や国立衛生研究所で免疫学の研究に当たりました。

そして大阪大学医学部の教授を経て1982年からは京都大学の教授となります。

医学部長などを務めたほか現在は京都大学高等研究部院の特別教授として副院長を務めています。また、神戸医療産業都市推進機構の理事長も務めています。

本庶佑さんは何を発見したの?

素人でもわかりやすく解説しているものを見つけました。

本庶佑さんは免疫を抑えるブレーキ役となる物質を発見し、がんに対して免疫が働くようにする新たな治療薬の開発どに貢献しました。

1992年に免疫細胞の表面に「PD‐1」というこれまで知られていない新しい物質があることを発見します。いまから26年も前のことです。

当時はどのような働きがあるのか全く分かっていませんでしたが「PD‐1」の働きを止めると免疫反応が過剰に働くことがわかり、発見から7年後の1999年にこの物質が免疫が働くのを抑えるいわば「ブレーキ」の役割を果たしていることを突めました。

さらにがん細胞がこのメカニズムを利用してヒトのメカニズムを逃れていることもわかります。

そこで、がん患者の体内で「PD‐1」が働かないようにすることで再び免疫ががん細胞を攻撃するようにして治療するそれまでの抗がん剤とはメカニズムが全く違う新しいがん治療薬の開発につながり、「オプシーボ」という名前で売られるようになりました。

引用:NHK NEWS WEBより

朝日小学生新聞よりわかりやすい漫画も見つけました

漫画だとわかりやすいですね!

まとめ

受賞式は12月だそうです。奥様の内助の功や名言なども聞いてみたいです。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

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